“さぶちゃん”の愛称で呼ばれていた保坂三郎さんが、2024年2月2日 71歳で亡くなりました。(1952.2.15-2024.2.2)
オープン以来、毎日のようにBARに顔を出してくれたさぶちゃんは、私が移住してきて以来これまで、家族を除けば一番多くの時間を過ごして来たであろう人であり、その積み重なった話の山は、信じられるものも信じられないものも、全てが大切な思い出になりました。

戦後、ご両親が入植し、まだまも無い1952年2月15日にこの地で生まれ、開拓と共に育った三郎さん。幼少期のこの辺りの様子から高校卒業までの話は、まだ小さな子供2人を連れて移住してきた私たちにはとても興味深いものでした。
70年代の東京にいた頃の話になると、私にも少し重なる部分もあって、学校の先輩の話を聞くようで楽しいものでした。丁度学生運動が激しかった時の受験やその頃の東京、音楽の話まで、尽きることはありませんでした。
その後山梨に戻り、いくつかの職を経て、ウエスタン牧場が始まり、現在まで。開拓〜酪農〜民宿〜観光牧場と時代と共に変遷してきた実家の様子や、1980年以降発展を遂げてきた地域の様子は、都心の当時バブル期の様子と比べてみても大変面白いものでした。当時のラングラーランチから広まった馬やウエスタン、カントリーの世界の影響をもろに受け、いつも「開拓精神!」と唱えては、私も随分ハッパをかけられていたものです。

また、私たちのこの地での生活を常に注視してくれていて、子供達と遊んでいる時も、ゴミ拾いなどしている時も、草刈りや雪かきも、薪割りも、外仕事している時はいつも見られていましたし、少し木の枝を落としても気付いてくれるほどでした。常に近隣の人々を気にかけている優しいおじさんで、家族ともどもお世話になる事も多かったです。
共感できることが多かった割に、口論になることもよくありました。酒癖も良くは無く、何度か店から追い出したこともありましたが、生意気だった私が生意気でいられる、それを許容してもらえる数少ない存在でした。

最後の乾杯は2021年6月の終わり。
「おい、今日でもう仕事上がったぞ。」とビールを飲みに来てくれました。まだ夕方だったのですが、長年勤めてきた会社を辞めたという日で、お疲れ様の乾杯になりました。

まだ今後やりたい事をいっぱい抱えている感じだったのですが、その後、入院、手術、施設に入った、施設を移った、と続き、ある日一時帰宅していた時に倒れ、救急車で運ばれ、そのまま会う事も出来ずに今年の2月を迎えました。

特に今年はお隣ラングラーランチ50周年の為に、色々と調べていたことがあったので、さぶちゃんとの話を沢山思い出していた矢先の出来事でした。

いっぱい失礼な事も言いましたが、いっぱいいい時間も過ごさせて頂きました。
さぶちゃんのお陰で小淵沢が大好きになれた事、心から感謝しております。