2017年4月5日、フォークシンガー加川良さんが亡くなってしまいました。
私達家族が今ここにいる大きなきっかけでもあったこと、書き留めておこうかと思います。
引越して来る前、私達がまだ横浜に住んでいた頃、加川さんも横浜に住んでいました。自分はブッキングマネージャー的な仕事も担当していたのですが、自分の在籍時、残念ながら一度も加川さんのステージは作れていません。一度別のお店でのライブに遊びに来てくれた際に話を出来たことは鮮明に記憶に残っているのですが、同じく横浜に住んでいた友部正人さんが頻繁に来店してくれていたり、またフォークミュージックのシリーズをなぎら健壱さんにお願いしていた時期でもあり、まだ駆け出しだった自分は変に気を使ってしまい、どこかで何かのきっかけが出来るだろうと、こちらから声を掛ける事も無く過ぎてしまっていました。以前より都心でのライブは極端に無く(年に一度ラ・カーニャだけ)、ましてや住んでいる町では歌わないといった変な噂話を聞いていた事も原因だったかもしれません。
いくつかの思いが重なり横浜を出てみようかと考え、家族で移住先でも探そうかという前夜でした。お世話になっている知人の家を訪ねたのですが、丁度いいビデオを貰ったから一緒に見ようということになりました。それは数年前どこかのお店で行なわれた加川良30周年ライブのビデオでした。何の情報も無く、このお店どこだろうねなどとも話しながら、加川良大ファンの彼の解説付きで朝方までたっぷりとビデオ鑑賞会となりました。
翌日、家族で小淵沢にいました。特に理由も縁も無く。夕飯は2歳の子どものリクエスト(これも不思議なことだったのですが)で小泉のパームスプリングという店に入りました。勿論初めて来たお店だったのですが、何か自分はずっと胸騒ぎがしていました。何だかここ知ってるなと。
食事も終わり清算を済ませ帰り際にトイレに入りました。
正面に1枚のポスターが貼ってありました。
「加川良30周年記念ライブ」
何と朝まで見ていたビデオの店でした。
全身鳥肌が立ったというか、電気ショックが走ったというか、これ迄おきた偶然の驚きとは何かが違う、見えない何かに導かれているような恐ろしさの混ざったものでした。知人の家に行ったのも、そのビデオを見たのも、小淵沢ICで降りたのも、2歳の子どもがリクエストしたのも、この店にいることも、何一つ予定していなかったことの中での出来事です。
それから数年不思議な事が起こり続けました。でもやはり最初のショックが大きく、その後はひとつづつ逆に安心感を覚えるようにになり、結局この地に移住する事になった訳です。
移住して宿のオープン前にBARをスタートしていましたが、そのある寒い夜。
ウチのリーフレットを握りしめた見覚えのある人がガラス越しにドアをドンドン叩きました。え?良さん?
「今度こっちに引越して来ることになったよ」と。
これまでも挨拶に毛が生えたぐらいの会話しかした事の無い、自分からすればテレビや雑誌やレコードの中の加川良さんがそこにいました。何だか信じられなくて、移住までの経緯や何やらを夢中になって話していたと思います。
それからは加川良さんというよりは本名、小斉喜弘さんとしてのお付き合いが始まりました。
コンサートを見に行ったのは唯1回。99.9%はステージ以外で、ホームセンターやスーパー、道すがらでよく会ったり、お店に来てくれたり、宿を紹介してくれたり、この10年本当に色々なことが思い出されるのですが、加川さんはいつでもあの笑顔、髪型、ひげ、関西弁、声、いつどこで会ってもステージの良さんそのままでした。
結局一度もステージをお願いする事無く、別れがやってきてしまいました。良さんの歌声を店に染込ませることが出来なかったことは残念です。しかしその喋り声はどのミュージシャンより沢山染込んでいると思います。
いのちや人生を歌った歌も多い加川さん。
色あせない言葉や歌を今何度も聞き返しながら、出会いに感謝するとともに、また自分の人生にその意味を考えています。
これまでの私達を支えて頂き本当に有難うございました。